春蘭はかつて一大ブームが巻き起こった古典園芸の一つです。
バブルの時は一鉢数千万円もしたものが売買されていました。
ただ今となってはそんなことを知っている人ですらいないと思います。
ブームもさり、その存在すら忘れ去られている分野といえます。
ただその潜在的な実力そしてその花の魅力は今なお色褪せてはいないと信じています!
かつては春蘭が高値で取引された時代もあった!
当時は投機の対象だったのです。
ただその葉姿や花、花芽の芸が多彩ということで、鑑賞するだけでも価値があるものでした。
時を経て令和の時代にこの春蘭を再度見直したいということです。
春蘭そして野生ランのよさをあらためて表現していきたいと思います。
今回の切り口はこのブログのテーマにもなっている癒しと憩いの価値ということです。
疲れ切っている現代社会に癒しと憩いの空間を作る
現代社会は高度経済成長の頃のように馬車馬のように働かなくてもいい時代です。
働き方改革も叫ばれ、休日明らかに増えてきている今の時代にゆったりと自分を見つめられる時間と空間を作ることは非常に大事なことです。
その一つにラン鑑賞というのがあってもいいと思いました。
別にラン鑑賞でなくてもいいとは思います。
しかし、このランを見ている時間というものが相当それも確実に心を癒してくれるものだということがわかりました。
ランをめぐってコミュニケーションを取れる場というのが最高の憩いの場になるということがわかりました。
それは神経を擦り切らしているギリギリの精神状態でこのランを見るとよくわかります。
なんともいえない心地よさ気の休まりを感じるのです。
それでランの鑑賞をみなさんに進めるのです。
ゆったりとした空間と時間の使い方提案
私自身、50歳を過ぎて本当に跡がないと思うようになった。
別にあせる必要はないのですがなにかあせっています。
これは個人的な問題なんだと思いますがみなさんにも思い当たるところはありませんでしょうか?
そんなとき、ベランダで咲いている春蘭をボーッと見ているのです。
花はないですよ。
葉姿だけをずっーと見ているのです。
ただそれだけのことですがなんとなく心が洗われるような気分になるのです。
手のかからない娘のような存在
よく言われるのが春蘭は時期もちょうど重なるお雛さんの女雛のようなものだということです。
ちょうど春蘭の品種にも女雛がありますがまさにお雛様のような佇まいなのです。
可愛い衣装を着せたり、綺麗にお化粧したりある意味現実ではできないことを可憐な花を通してやっているのかもしれません。
ブームが終わった今だからこそ純粋に楽しめる
先ほども申し上げたように春蘭は投機の対象でした。
金銭的価値で見るのは非常にわかりやすいですが実はそれ以上の価値があるとお思います。
それは心の癒しの世界へ導いてくれる点です。
心を豊かにしてくれる存在になり得るのです。
それは金銭的価値では計り知れないものでしょう。
そういう価値観で見ていくと春蘭の世界もまた違って見えてくることでしょう。
最後に
春蘭そして野生ランを楽しみましょう。
そして人生の楽しみにしていきましょう。
共感していただける人はぜひ声をかけてください。
一緒に作り上げましょう!
\ 手元に置いておきたい一冊! /
<終わり>
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